インタビュー 左 大原賢士さん、中央 岸野昌さん、右 わたしたちのまちのつくり方 神尾直志(取材者)

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仲町 岸野昌さん

どのくらいの時期から農家をされていますか?

小川新田の開拓で、300年以上前の小川村開拓の約50年後の時期からご先祖が農業をされていると聞いています。当初は、青梅街道からアジサイ公園までを開墾していたと聞いています。

農地には飛び地もあったそうですが、先々代が土地交換等で集約し、自宅周辺にまとまった形の農地になりました。

私は小川町の農家の三男ですが、婿養子となりこの農地を引き継いでいます。

どんなものを栽培していますか?

路地野菜、栗、柿、東京在来種である滝野川ごぼう、内藤かぼちゃ、内藤とうがらしなどを栽培しています。

内藤とうがらし
内藤かぼちゃ

どんなルートで販売していますか?

JAのムーちゃん広場、庭先販売、東京野菜に出荷しています。江戸東京野菜は、都心の八百屋に出荷されます。

F1種と違い固定種なので、品質にばらつきがありますが、でも珍しいこともあり高く売れるのが良いです。

出荷は宅急便と取りに来てくれるルートもあります。

土地は何反ほどありますか?

7反ほどあります。

生産緑地指定以来、相続を経験していますか?生産緑地は売りましたか?

生産緑地指定と、宅地農地と分けてつかっていました。昨年、義父が亡くなり相続が発生しました。市に貸していた市民菜園(あじさい菜園)は返却してもらい、そのうちの一部の土地を売却して相続税を払いました。

実は、義父が存命中に、義父を説得して相続対策のためのサービス付き高齢者住宅を建築の計画をしました。完成していれば全ての所有地を売らずに住む予定でしたが、計画時に亡くなってしまい、後に売却しないといけない土地が出てきてしまいました。

私は養子ということもありますが、ご先祖からの土地を守るためと、説得して義父は理解を求めた結果、借金をしてくれました。しかしながら建設始まったときに急死してシナリオは崩れました。

今の80代の世代は土地がやすかった時代の感覚があるので、相続税の重さを理解してくれません。対策をすることで土地はある程度守ることが出来ます。

義父からの相続は、養子に入った自分と実の娘の妻ともう一人姉妹がいたが、岸野家の農地に理解を示してくれて、争続にならずにうまく遺産分割協議が出来ました。

農業収入は労働に見合う報酬につながっていますか?

全くつながっていませんし、とても厳しいです。滝野川ゴボウは連作障害で今年はうまくできませんでした。柿は3つで100円、1年の売上は10万円、とても厳しいです。

江戸東京野菜は高く売れますが小平市の消費者と、23区部の消費者では、所得も異なり野菜に対する価値も違うのだと思います。

都市農家を継続するためには重すぎる相続税の問題が大きいと考えています。相続税減免したら、農家がやる気になるとか、農地の貸借が進み新規参入も増えると思いますか?

大いに変わると思います。モチベ―ションが上がる農家も多いでしょう。

特定生産緑地、納税猶予がかかっていても、都市農地の賃貸の円滑化に関する法律が2018年に施行されて、大原さんのような新規参入者が出てきました。しかし、簡単に受け入れてもらえるかというと障壁があります。詳しくは大原さんから聞いてください。

トラックや資材庫も相続税猶予をうけられない
出荷袋詰め作業スペース、出荷用の軽自動車車庫、倉庫、農家に必要な場所も、相続税猶予はうけられない。

何故、相続の時に土地を売らないといけないのか?詳しくはこちら

都市農家として、農家以外の市民に望むことはなんですか?

これは難しいですね。援農は準備が大変なので、難しいと思っています。

市民の都市農地の理解はどうなのでしょうか?

小平市との災害協定や震災井戸などの登録もしています。いろんな考え方の市民がいると思いますが、本当に災害時、幹線道路が止まってしまったときなど、地産地消が力を発揮すると、都市農地を守ろうという機運が高まるのでしょうか?

仲町 大原賢士さん(新規就農者の認定農家)

どういう経緯で農家を始めたのですか?

港区に生まれ育った。幼稚園のときから農業がやりたかった。父方の祖父が宮城県のコメ農家ですが、両親は農業全く縁がない。自分は農業がやりたいという思いはぶれずに大人になって瑞穂町で農業を学んで、岸野さんと縁があり、農業を始めることになりました。

農家を始める前にマルシェを始めていますが、岸野さんから野菜を仕入れていたことあり面識がありました。都市農地の賃貸の円滑化に関する法律が施行されることを聞いたので、相談して4年前から小平市で農業を始めました。

現在は、五か所の農地を借りて、8反の畑を1人で生産している。

新規参入の障壁はどんなところにありましたか?

法律が出来ても、前例がないとなかなか理解してもらえなかった。農業委員会も懐疑的な目を向けており、許可がでるまで時間がかかった。 契約は岸野さんとの間では、使用貸借で10年契約、相続で売却しないといけなくなったら、契約ではないが、他の契約は、契約期間が長いと、地主に有利な条項がある。実際に、都市農家から農地を安定的に借りるのは難しい。

地方ではなく市街化区域の郊外を、選択した理由は何ですか?

港区生まれ、妻も港区出身。瑞穂町で農業を学んだ。都市農地の賃貸の円滑化に関する法律のおかげで、農業が始められる目途がついて、瑞穂町と港区の間でちょうど良い場所として、小平市を選びました。

どんなものを栽培していますか?

ネギ、ブロッコリ、トウモロコシなどです。

大原さんの長ネギ畑

どんなルートで販売していますか?

JAのムーちゃん広場、直売用自販機、スーパーへの直売の3つがあります。 昨年から食べていけるぐらいは収益を上げています。

しかし、毎年安定するわけではない、今年は猛暑の影響でうまくできない野菜が多いです。

農業収入は労働に見合う報酬につながっていますか?

全くそうは思いません。妻も働いており、子供の保育園の送り迎えがあり、早朝の作業ができない。ストレスも大きいです。

都市農家を継続するためには重すぎる相続税の問題が大きいと考えています。相続税減免したら農地の貸借が進み新規参入も増えると思いますか?

変わるとは思いますが、新規参入は厳しいとも思います。生活を成り立たせるのが大変ですから。

土地を安定して長期で借りられるとして、果樹をやれば稼げるかというとそんなに甘くない。学んでいない。良い野菜を安定して栽培できているのは、学んできて今も学んでいるから。

私のところにも自分も農家になりたいという人が近寄ってきますが、「甘くないよ」と伝えています。本当に厳しいですからね。実際に続けられる人は限られています。

都市農家として、農家以外の市民に望むことはなんですか?

自分は一人でやりたいタイプ。自分で完結したい。教える手間の方が大きい、援農は不要です。

市民には風景の一部として、眺めて頂きたい。

以上

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